2018年12月05日

人間を食う歴史をもつ中国・・・(中国のカニバリズム)

雨のち晴れの記(@)
2018-12-02 12:14:21

加瀬英明氏の「中国人韓国人にはなぜ『心』がないのか」を読んでいたら、

・・・ 『三国志』には、冒頭で、主人公の英雄である劉備が戦闘に敗れて、さまよっていると、夜、泊めてくれた猟師が、新妻を殺して、その肉を御馳走になる。
 むごたらしいだけではなく、劉備がそれほどまでして歓待してくれた猟師を誉めて、もし、自分が天下を取ったら、弓き立ててやろうと約束するのに、暗然とした。
 そのうえ、近代中国文学の巨人といわれる魯迅( 八八 年〜 九ご六年)の代表作である、『狂人日記』を読んで、衝撃を受けた。
 短い作品だが、中国のある青年が、自国の歴史を知りたいと思って、万巻の書を集めて、夜を徹して読む。 読んでいくうちに、「義」とか、「仁」とか、「徳」とか、美しい言葉ばかり並んで
いるが、しだいに東の空か、白みはじめる。 目が疲れてくると、行間に、「吃人」(食人)という言葉が、繰り返し浮かびあがってくる。
 この青年は、日頃、自分も食われてしまうかもしれないという恐怖に、苛まれていたが、魯迅は中国の歴史は、まわりの国を食べ散らかす、同じ人間を食べ散らかしてきた歴史でしかないと、断じている。
 魯迅の『薬』も、”食人‘の恐怖を、テーマにしていた。・・・・

と書かれていて、ショックを受けた。

それで、支那には人間を食う習慣があったのかとウィクペディアで検索してみたら以下のような記事が出てきた。



『人肉饅頭』より過激!! 人肉しゃぶしゃぶ、唐揚げ、3千回肉そぎの刑…中国4千年の食人史とは?
2013.06.26 http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2629.html

■白神 じゅりこ
 次から次へと驚愕のニュースが流れる中国産の食品問題。
 2004年には、頭髪などの人毛から作られた「人毛醤油」が、日本および外国へ輸出されていることが発覚し大問題となった。
 また、2011年は、人間の胎児や死んだ赤ん坊などから作られた粉末入り「人肉カプセル」が「最高の滋養強壮剤」として韓国に密売されていたという事件が起きた。
 人間を使った食品まで出回るとは、まさにタブーなき恐るべき国である!
 ……と、日本人なら叫んでしまいそうだが、中国では古代から「人肉食い」の話は多く、中国のさまざまな史書に記録されている。
■中国「人肉食い」4000年の歴史とは?
◆妻の肉を食材にした漁師
 有名なエピソードとして、『三国志』の英雄、劉備玄徳が猟師の家に身を寄せた時。もてなしをする食べ物がなかったため、猟師が自身の妻を殺害。「狼の肉」として劉備に差し出した。翌朝、劉備は厨房で肉を削がれた猟師の妻の死体を発見。自分が昨晩食べたのは「猟師の妻の肉」であったことに気がついたのだった。だが、「もてなす食材がなかったため妻を差し出した」という猟師の行為に、劉備はひどく感激したという。何とこの食人の話は美談として語られている。
■処刑者の人肉を漢方の妙薬として喜んで食す
 世界に数ある処刑方法の中で、中国のバリエーションは世界一と言われている。どれだけじわじわと苦痛を引き伸ばし、恐怖を最大限に味合わせるか……その方法は徹底している。
◆「人肉しゃぶしゃぶ」
「凌遅の刑(りょうちのけい)」は、生きたまま少しずつ細かく切り刻み、肉をそぎ落とすという最も苦痛に満ちた処刑方法で、清朝末期まで行われていた。処刑者は裸で市中を引き回されたうえ、柱に後ろ手にくくりつけられ、左右の股とすねに釘が打ち込まれる。処刑は3日〜10日に渡って行われたという。肉をそぐ回数は120回〜3000回。処刑後はバラバラに解体され、販売された。漢方の妙薬とされていた新鮮な人肉を民衆はこぞって買い漁り、食べたといわれている。
「凌遅の刑」に関連する話がある。唐の時代。反乱軍のリーダー董彰(とうしょう)は、鎮圧軍のリーダー姚洪(ようこう)を監禁。降服しない姚洪の肉を生きながら薄くそぎ落とし、その場で「人間しゃぶしゃぶ」にして食べたという記録が残っている。
◆「人間唐揚げ」
「烹煮の刑(ほうしゃのけい)」は、煮えたぎった湯に処刑者を放り込み「人間スープ」に、「油煮の刑(ゆしゃのけい)」では、「人間唐揚げ」にして食べたという。「石臼刑(いしうすけい)」は、巨大な石臼に人間を放り投げ、杵やすりこきで突いていくというもの。いわゆる、餅つきの要領である。杵で打ち砕かれた人体からは内蔵や脳みそ、目玉が飛び散り、血と交じり生臭い臭いを放つ。さらに、すりこぎで細かくすりつぶせば「人間ミンチ」が完成する。こねて焼けば「人間ハンバーグ」のでき上がり!
 処刑方法だけでなく、「人肉料理」のバリエーションも豊富だったようだ。
■「食人宴席」
 また、近代においても「食人行為」は行われていたという……。
『食人宴席―抹殺された中国現代史』(カッパ・ブックス) 鄭 義 (著、原著), 黄 文雄 (翻訳)という書籍の中で、その悲惨な様子が克明に描かれている。
 1965年以降、約10年続いた「文化大革命」の時、中国共産党指導部内によって、何万人という人々が粛清という名の下、ほとんど理由もなくリンチや虐殺にあった。生きたまま腹を裂かれ、内臓を引きずり出し、肉をそぎ、人体の臓器や皮や肉は煮たり焼いたり、生で食べることも……。また、目玉を繰り抜いて食べたり、鉄のストローを頭蓋骨に差し込んで脳みそを吸ったりすることもあったという。
 白昼堂々と行われた食人宴席だったのだ!
 なお、現在の中国では食人は禁止とされている。ただ、「美容に良い、精がつく」といわれ、胎児を食べる文化が現存しているというウワサもあり、いまだに堕胎された胎児をスープにしたり焼いたりして食べているという。
 中国における食人とは、れっきとした「食文化」の一つ。まさに中国4000年の味、「人肉三昧」の歴史の重みを感じさせる。
(■白神 じゅりこ
オカルト作家・コラムニスト・ライター。ジャンルを問わず幅広く執筆。世の中の不思議を独自の視点で探求し続けている。)



孔子の弟子が処刑されて食べられてしまい、それを聞いて孔子は塩漬けの肉を棄てさせたとうとい逸話がある。一説には孔子も人肉を好んだとう説もあるようだ。

加瀬氏は書く。

・・・儒教の矛盾
 儒教が怪しい、胡散臭いものだと、はじめて気付いたのは、大学に進んだころだった。
 私は、孔子が生きた春秋時代(紀元前七七〇年〜紀元前四〇三年 について、孔子が出入りしたどの宮廷にも、宦官が多くいたことを知った。春秋時代と呼ばれるのは、孔子の教えを編纂した、儒教の教典の『春秋』から、きている。
 儒教が、美しい言葉を並べて、うわべを飾り立てているが、見せ掛けのものではないかと思った。
 孔子は、『孝経』のなかで、「身体髪膚受之父母不敢毀傷。孝之始也」(髪の毛の一本から、膚にいたるまで、親から貰った身体だから、あえて、これをいささかも、傷つけてはならない)と、教えている。
 これは、孔子の多くの教えのなかで、もっとも有名な言葉だろう。儒教のなかで、もっとも重要な教えと、なっている。
 『孝経』は、孔子の十三経の一つで、儒教の根本理念であり、徳の基本について、述べた教典である。
 では、孔子がそのように、ほんとうに信じていたのだろうか?
 宦官は、若い男性の生殖器を切除するのだから、残酷きわまりなく、宦官は、皇后や、皇帝の女たちが住む、後宮で執事をつとめたり、身の回りを世話するだけでなく、しばしば、君主の重要な補佐役として、仕えた。 それにしても、宦官制度は、非道きわまるものだった。
 長いあいだにわたって、麻酔もなかったし、十分な消毒、殺菌も行われなかったから、生殖器を切除する時には、想像を絶する苦痛に、耐えねばならなかった。ほとんどが、生命を失なって、生殖機能を奪う宮刑を受けた者は、五人に一人ほどしか、生き残らなかったという。
 もっとも、ヨーロッパのキリスト教会にも、一 八七八年まで、宦官が存在した。この年に、ローマ教皇レオ十三世が、宦官制度を廃止した。 八七八年というと、明治+一年に当たる。日本で、ヨーロッパ文明に憧れている人々は、はたして、この事実を知っているだろうか?
 そのうえ、中国では、人を食べる食人習慣が、ひろく行われていた。
 豚や、牛や、鶏、犬を食べるように、人肉を何ら罪悪感もともなわずに、口にしていた。(170)P・・・



儒教をありがたく聖人の教えの如くに奉るのは、きわめて胡散臭いことで、私は、支那の問題は、この孔子を批判できないで来ていることだと述べている。

また最近知った浅野裕一氏の孔子ペテン師説のように批判する人に出会って、とても納得している。加瀬氏も孔子については懐疑的である。



福島香織さんの『孔子を捨てた国』の第五章の七節に「わずか50ねんまえの文化大革命の実態。「階級」への憎しみが人民を食事人行為に駆り立てた」で六ページにわたって文革当時の「食人」の出来事が書いてある。
 
武宣県の文革は、北京より 年遅れて 九六八年から激化した。主流派と非主流派の武闘が同年五月四日から十 日まで繰り広げられ、闘争で九十七人が死亡、捕虜ご十四人も処刑された。
 非主流派の総指揮者・周偉安は逮捕され、惨殺された。首と足を切り取られて木の上に掲げられ、その下で妊娠中の妻が辱められた。周偉安の 番目の兄も惨殺された。この事件直前に逃げ出した非主流派の一人の学生は群衆に捕まり、縛られて、学校の門衛に生きたまま腹を裂かれて、心臓と肝臓を手で掴み出され、豚肉と一緒に料理されて皆に振る舞われた。
 人肉食に抵抗なし
 この大武闘後も、武宣県ではあちこちで食人事件が頻発した。批闘が起こるたびにリンチが起き、人が死に、その食人の宴会が繰り広げられた。六月十八日、武宣中学の校庭や黄註l民公社など、一ヵ所でリンチと食人が行われた。
 人民公社による街頭引き回しデモでは小学校教師ら七人が吊るし上げられ、うち六人がリンチで殺され、細切れにされて群衆に食われた。この人民公社販売部では 尺八寸の大鍋で人肉を調理し、十数人に振る舞われた。
 こうした話は県の整党委員会の資料にも残り、多くの目撃者、実際に殺戮や大肉食にかかわった人物も生存している。八〇年代はまだ、大肉食は階級の敵を打倒したことの証だ、とそれが犯罪だと考えない大もいた。
 こうした食人事件は日時、場所、犠牲者、加害者の名前から、いかに殺戮して食ったかまでの細かい記録が、党の資料と実名の当事者の証言で裏づけられている。

信じられますか?

孔子の時代以前から、このような食人の習慣があって、それを否定しなかった「道徳」って、どういうものなのか。恐ろしくなった。

以前、ヒチコックのドラマで食人レストランの物語があったことを記憶しているが、劉備玄徳の時代から、魯迅の時代、さらに文革の時代まで、続いている風習・・・、

罪悪と思わない「神経」、支那には仏教は結局根付くことがなかったと言っていいかもしれない。

この食人の風習、さらに宦官の存在、それと儒教、特に孔子の教え=「孔子教」と私は呼びたい。

日本でも「人を喰うような話」という言い方はあるが、実際に人を喰うと言う習性はない。


今回、このような問題を取り上げたのは、『儒教』批判のためです。再び加瀬氏の言葉を引こう。



・・・・遠征する軍隊は、携帯食糧として、食用人間の群を、連れていった。敵を捕らえたら、食べてしまった。
 毛沢東が発動した、人民文化大革命(一九六五年〜一九七五年)の時には、紅衛兵たちが、「造反有理」を叫びながら、殺人を働き、その肉を貪った。何が、文化革命なのか。 文化大革命は、四十年前のことである。つい、このあいだのことだ。その後、食人習慣がなくなったとは、信じがたい。
 習近平体制になってから、中国では、政権によって、バスを仕立てて、動員された暴徒が、「愛国無罪」を叫びながら、日本資本の工場や、百貨店を襲撃して、破壊し、略奪した。「造反有理」が、「愛国無罪」に、変わっただけのことである。 儒教は、その後ずっと、中国思想の根幹となってきた。
支配階級のための儒教
 孔子が、仁や、義や、恕(人を許すこと)や、徳などを、もっともらしく説いたが、支配階級の人々とのあいだだけに、適用されるものだった。 儒教の高邁な徳目は、仲間うちだけのものだった。とくに、仁は慈しみ、他者への思いやりを意味している。
 だから、人民であれば、男のもっとも大切なところを、いくら切り取ってもよかったし、空腹をみだすために、いくらでも殺して、食べてしまってもよかった。
 中国では、清朝が崩壊するまで、人民は長いあいだ、「民草」と呼ばれてきた。この言葉は、日本にも輸入されて、使われてきた。
 中国では、民草はいくら刈っても、刈っても、また、生えてくるものだから、殺しても、煮ても、焼いて、食べてもよい、存在であってきた。
 ところが、日本では、民草は慈しみ、守るべき、対象であってきた。 日本のように、万民が人として、それぞれの人生を生きた、文化ではないのだ。
 私は、孔子が仁を説いているのにかかわらず、宦官制度や、食人習慣を、一度たりとも批判しなかったことに、中国社会のおぞましさを、垣間見た思いがした。
 儒教は、道徳哲学ではない。統治哲学である。
 本場の中国における儒教は、為政者が天下を私有する専制制度のもとで、人々の行いを制禦することによって、いかに権力に奉仕させて、社会を治めるべきか、体系だてた政治イデオロギーなのだ。私は、そのように覚った時に、戦慄した。それ以来、私の中国観が変わることが、なかった。(p172)



加瀬氏が述べるごとく、儒教は他の世界宗教とは全く異質のものであるが、その形態と影響は、宗教と同じものと言えるし、今の中国共産党は、マルクスとは縁のない孔子教集団となって、孔子がなれなかった「孔子王朝」を現代に作り出している。

浅野氏は孔子王朝を企てたが挫折したととらえているが、その後儒教が科挙制度により国教化して、孔子の企ては二〇〇〇年と続いているのだ。



支那に生まれた中華文明は、西洋の歴史とは全く違う道を今も歩んでいる。

今回は食人の風習を肯定してきた儒教について疑問を呈することで、儒教を批判する一つの視点にしたが、改めて別の角度から、易名革命の矛盾について感がてみる。

吹雪さんのコメント、「心」についてのご指摘に端を発して、私流に論じさせてもらう。

支那の文明は、孔子以来、「こころ」について悩むことのないものだ。あるがままを肯定することで、心の緊張を生み出さない、特異な性質の教えだと言える。(つづく)


雨のち晴れの記(A)

中国の人肉食(カニバリズム)文化 (つづき)

人間を食う歴史をもつ中国・・・

2018-12-02 21:38:20

カリバリズム(食人肉)という習慣が中国にあったことに少なからず、強いショックを受けた。ウィクで検索したら、次のような批判記事を見つけたが、ようかいしまそのコメントにも驚かされた。そのまま紹介します。辻元さんという人が、中国の「食人」を言うのはレイシズムだと批判するのですが、その辻元氏へのコメントがまたすごいので、今回取り上げました。



中国のカニバリズムを取り上げるのはレイシズム

― 2013/10/04 辻本

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/04/6999819
 中国には「カニバリズム(食人肉)」はあるが、日本には「カニバリズム」はないと言う人がいます。これについては、間違いであることは既に確定していると思っていたのですが、まだそういうことを言っている人がいるとは、困ったものです。
 大正時代に京都帝国大学の東洋史学教授の桑原博士は、中国のカニバリズムについて次のように記しています。
支那人間に於ける食人肉の風習

‥‥目下露國の首都ペトログラードの食糧窮乏を極めたる折柄、官憲にて支那人が人肉を市場に販賣しつつありし事實を發見し、該支那人を取押へて、遂に之を銃殺せり。‥‥一體支那人の間に、上古から食人肉の風習の存したことは、經史に歴然たる確證があつて、毫も疑惑の餘地がない。‥‥支那人の人肉を食するのは、決して稀有偶然の出來事でない。歴代の正史の隨處に、その證據を發見することが出來る。‥‥雷同性に富み、利慾心の深い支那人は、この政府の奬勵に煽られて、一層盛に人肉を使用することとなり、弊害底止する所を知らざる有樣となつた。‥‥私も最近二三年間、この問題の調査に手を著け、多少得る所があつた。その調査の結果全體は、遠からず學界に發表いたすこととして、今は不取敢支那人の人肉發賣といふ外國電報に促されて、古來支那に於ける食人肉風習の存在せる事實の一端を茲に紹介することにした。(『東洋学報』)
 博士は中国のカニバリズムについて本格的な論文(「支那人間に於ける食人肉の風習」)も発表しています。そしてその論文の前提は、カニバリズムは日本にはなかったというもので、野蛮な中国と文明の日本という自民族優越主義に基づく対比です。桑原博士の弟子にあたる宮崎教授は、次のように論じて批判しました。
ここに注意すべきは先生は最初、この風習(カニバリズムのこと)は中国には見られるが、日本には古来嘗て行われたことがなかったと、堅く信じておられたらしい点である。この主題を心にとめつつ見聞するところを総合すると、事実は必ずしもそうとは断定できぬのではあるまいか。‥‥今日の我々は桑原論文を他国他民族のこととしてではなく、我々自身の上に引きあて、内在する魔性を懺悔するの念を込めて読み直すべきだろう。(『東洋文明史論』)
 このように日本にもカニバリズムはありました。中国のように人肉を販売する例は、江戸時代にあります。刑場の役人は死刑に処した死体から人肉(主に肝)を取り出して薬として販売しており、これが公認されていたのです。有名な例では山田浅右衛門がいます。山田家は人間の肝の販売で巨富を築いたと言います。さすがに明治時代になって禁止されたのですが、これ以降日本ではいつの間にかカニバリズムはなかったとする間違いの俗説が広まったようで、桑原博士のように著名な史学者もそのレイシズムに毒されたということです。今はこういった方面の歴史研究が進み、日本にはカニバリズムはないというような間違いはなくなったと思うのですが、そうでもないようです。
 刑場の処刑人の人肉を薬として販売する風習は、古代日本では約400年間処刑がありませんでしたから、中世以降におそらく中国から渡ってきたのではないかと推測することは可能でしょう。
 以上はカニバリズムが公認された例ですが、それ以外では飢饉や補給を断たれて飢えに苦しんで人肉を食べたというような話は日本の歴史上でもよく出てきます。また薬用目的に殺人して人肉を切り取る事件は明治以降に時々報道されています。あるいは近年では佐川パリ人肉食事件のような猟奇殺人事件があります。日本のカニバリズムは探せば結構出てくるものです。
 結局、我が日本の例には目をつぶり、中国のカニバリズムを取り上げることは、レイシズムとしか言いようがありません。

コメント
_ 河太郎 ― 2013/10/04 11:17
>中国には「カニバリズム(食人肉)」はあるが、日本には「カニバリズム」はないと言う人がいます。
私もそう理解しています。わが国にも飢餓や猟奇的犯罪や漢方薬などで「カニバリズム」があつたことでしょう。それは誰も否定しないでしょう。しかしそれはあくまで例外中の例外であり、中国の「カニバリズム」はそのような限られたものではありません。
中国系アメリカ人学者によれば、「身についた人肉食」だそうです。
ジャスパー・ベッカー『餓鬼』(中央公論社1999年)301頁〜304頁
<アメリカの学者ケイ・レイ・チョンは、中国の歴史、文学、あるいは医学書に現れた人肉食について調査した。1990年に出版された『中国のカニバリズム』で、彼は人肉食を二種類に分けている。最後の手段としての「生きるため」の人肉食と、別の理由による「身についた」人肉食である。後者は中国独特のものである。チョンによると、「彼等はきわめて特異な感覚を持っており、彼らの歴史には、さまざまな形の身についた人肉食があった。」中国の歴史を振り返ると人肉を珍味とした時期がたびたびあった。
(略)
中国文学には、人肉を美食として食べている記述がいたるところにある。
(略)
中国史では、とくに戦争中に人肉食が頻繁に起こった。都市や要塞が包囲され、最後の手段として人肉食が
おこなわれただけでなく、捕虜や殺した敵は、主要な食糧だった。
(略)
人肉食はまた復讐の手段であり、孔子に奨励された。
(略)
ジェームズ・D・ボールは『中国の事物』で1895年広東省で起こった水争いを描いている。武力衝突の後、捕虜が殺された。そして死体の心臓や肝臓が配られ、食べられた。子供も一緒になって食べた。
中国共産党と国民党の内戦でも、捕虜を殺し,復讐として食べた記録がある。
共産党政権下でも、復讐のための人肉食は続いた。とくに中国最南部の広西自治区では、文化大革命中に顕著だった。中国人作家鄭義が入手した記録によれば、学生たちが校庭で校長を殺害し、料理した食べ、反革命主義者にたいする勝利を祝ったという。公営食堂では死体を肉掛けフックにつるして、人肉を料理として出したと言われている。
(略)
鄭義が入手した記録によれば、広西自治区では、少なくとも137人は食べられた。>
_ 河太郎 ― 2013/10/04 11:18
>これについては、間違いであることは既に確定していると思っていたのですが、まだそういうことを言っている人がいるとは、困ったものです。
それでは、日本のカリバニズムについて「身についた人肉食」と評価した研究者がいたら教えて下さい。
>結局、我が日本の例には目をつぶり、中国のカニバリズムを取り上げることは、レイシズムとしか言いようがありません。
辻本さんは、中国はまだ遅れた弱小国で恥部を暴いたら偏見を助長する、とでも思っていらっしゃるのですか。
中国はあと10年もしないで経済的にも軍事的にもアメリカを凌駕するかも知れないと予想されている超大国です。有人宇宙船を飛ばす大国です。さらに可能かどうか分かりませんが、世界を支配すると言っているのです。
さらに尖閣を盗み取ろうと毎日行動し、沖縄も盗み取ろうとしている国です。日本人がそのような超大国の恥部であろうが何であろうが実態を暴くのがどうして、レイシズムなのでしょうか。
辻元さんの、中国の恥部は暴くべきではないとの「やさしい心遣い」こそ、中国を可哀相な国といわば見下していることになるのではありませんか。
_ 慎太郎 ― 2013/11/17 14:03
カニバリズムも別にアリだと思いますね。 現代日本では殺人が合法になることは実に稀有なので 実際にはまずできないでしょうが 、戦争状態であったり、異文化、異世代では十分にありうるでしょう 。故にボクは中国も日本も、その他の地域も、とくに否定はしません 。という視点で、中国のカニバリズムを取り上げて差別的にとらえるのはアホらしいです
しかし、もしも現代中国の一部地域でカニバリズムが横行していたとして
現代日本のおおくの市民の基準からするとそれはとても不気味に感じて忌諱してしまうのは全く持って仕方ないと思います 。お互い昔のことなのであれば、そんな時代もあった で済むと思います 。しかし牛の肉、クジラの肉、人の肉、栄養としてはそれほど差はないように思います
_ 貫太郎 ― 2013/11/23 01:24
日本の例には目をつぶり、中国のカニバリズムを取り上げることは、レイシズムとしか言いようがありません。
1.恐らく根本のところで、比較が間違えおられるかと思います。中国に住まわれた経験をお持ちであればお分かりと思いますが、中国人の大多数は基本的に肉食民族です。豚・鳥・牛はもちろんですが場所によっては犬・ハクビシン・蛇等を食します。小生が滞在していた1990年代〜2000年代は蛇がレストランで御馳走として振舞われていました。ウエイタが菰に数匹の蛇を入れて客の前で要望を聞くのです。
 私は驚きましたが、友人(中国人)がうまいと言うので勧められて食しました。(今ではサーズでなくなりました)市場に行けば、生きた犬・亀他日本人があまり食用にしないものがかなりの種類並んでいます。肉食民族だけあってスーパで肉を買うより、肉専門の店(解体した肉を吊るしたような店)で買うことが多いようです。田舎に行けば、冬場に豚を解体して干し肉にして軒下にぶら下げてあります。中には食用の犬(赤色の犬)を使っている人もいました。彼らを残酷だとか差別でいうわけでありません。厳しい自然環境で何でも口にしなければ生きていけなかったのです。
2.文献に良く見られる儒教の風習から出て来た割股(親の病気治療のために股の肉を切り裂く)等の行為は肉食民族である中華民族が身近で行っていたカニバリズムの風習でした。中国と言えば宦官・纏足が色々な文献に出てきますが、人肉食も多くの文献に書かれていることから蔑視感情でなく当時は一般的な風習であったと推察致します。
3.日本の場合、江戸時代に朝鮮通信使が日本に来て生肉を食う場面を見て、日本人が野蛮人と感じたとの記述があり、肉を食べる行為や人肉食がそれほど庶民まで一般化してなかったように感じられます。
 日本の場合カニバリズムが無かった訳ではないと思いますが、中国の場合は戦乱、厳しい自然環境、宗教および食文化の違いで比較にならないほど多かったと推定致します。
_ 太田周作 ― 2013/12/06 23:41
ていうか、中国人の全員が人肉を食ってる訳じゃないでしょ。あと尖閣がどうこう言っている人がいますが、中国共産党の方針と一般中国人は無関係でしょ。
Wikipediaのカニバリズムも悪意ある編集が成されてますね。まるで日常的家庭料理として食人がされたかのように書かれてます。
日本人はクジラ食いだと言ってるオーストラリアの右翼と同じです。
中国人は人食い族だというのはインディアン差別と同じく悪意ある印象操作だと思います。
_ (未記入) ― 2013/12/10 23:59
過去に奴隷制度を行っていたから、現在奴隷制度を行っている国を批判する資格がないと言っているのと一緒。 現在の事象は現在の物差しで判断し、過去の事象は過去の物差しで判断すべきだと思います。 ですから現在も人肉カプセルなどが流通している中韓の行為は、忌避されて当然なのではないでしょうか?
あと根本的にレイシズムの意味を取り違えてはないですか?
_ (・_・) ― 2013/12/16 21:06
仰るように、中華には古来ずっと人肉食文化が有りますね。
孔子が人肉が大好きで食べていたら、食肉にされた人達の関連者からの仕返しで、お気に入りの弟子を食肉として殺害されてしまい、それ以降反省して食べなくなった、との逸話が有る様です。
昭和40年代の鮮人の中に、「俺達はレベルが高いから、人間を食べるんだ」と言っていた人が居ました。

それまでは、中華人の人肉食は、大日本帝国人が中華人に食われたり、中華人が赤んぼを食べていた話、毛沢東革命時に飢餓回避の為に子供を交換して食べていた話等を聞いていたので知っていたのですけれど、朝鮮人も人肉を食べるんだと少し驚いた事がありました。
日本では、飢餓状態になり餓死者が出て、残った人が生き延びる為に餓死した仲間の肉を「申し訳ないけれど生きる為に…」と、肉を貰う代わりにその仲間の分も生きる気持ちで食べた例は無く皆無ではないですけれど、極限状態での仕方のない措置としての事。 中華人・朝鮮人の場合、上層部の人肉食好みの人達の嗜好性の満足の為に行われ、特に大陸中華ではその理由付けに、孔子の教え(とは少し違う気もしますけれど)として「立派な方・目上の方の為に、下の者が自らの肉を差し出す事は立派な行為だ」と称賛され、人々はそれをそのまま信じて実行して来ていたようです。
中華・朝鮮社会では、「肉を食う=自らの身にその力を着ける・自らの肉の支配下に入れ征服する」との意味合いがあり、其の為、戦乱動乱時の中華人・朝鮮人が敵の肉を食らう現象が古来よく見られたようです。
大韓民国の元慰安婦の御婆さんの中にも、(敵に見立てた)日本人の肉を食ってやる、と息まいてらした方がいらっしゃいましたが、それも彼女自らが征服して遣る、との意欲の内でしょう。
毛沢東革命以降の産児制限で一般的に男子を欲しがった為に女児の堕胎が多く、堕胎した胎児を食用として産院等で貰う予約をして食べていた人達がいたようです。
少し昔の一般的な彼等の民族性であって、彼等の歴史であり、その事を語る事自体はレイシズムではないと思います。
これ以降の犠牲を避ける為にも、人類の歴史研究であり、他民族を理解する為の科学的民族史の分析であります。
_ かい ― 2013/12/24 10:47
> (・_・) ― 2013/12/16 21:06
> 孔子が人肉が大好きで食べていたら、食肉にされ
> た人達の関連者からの仕返しで、お気に入りの弟
> 子を食肉として殺害されてしまい、それ以降反省し
> て食べなくなった、との逸話が有る様です。
いい加減なことをいってはいけませんよ。孔門十哲のひとりとされる、弟子の子路が士官したが、政争に巻き込まれて殺害され、その肉が塩漬けにされたので、弟子の非業の死を悲しんだ孔子は家にあった塩漬け肉をすべて捨てさせた、という、史記にある逸話でしょう。
史記は作り話が多いのでホントかどうかわかりません。
しかし、子路を殺して塩漬け肉にして配ったというのは、敵の肉をみんなで食おうということでしょう。古代中国で実際そんなことが行われたのかどうかはわかりませんがね。
孔子が塩漬け肉を捨てさせたという、この肉は人肉ではないでしょう。まさか、日常的に人肉が食されていたとは思われません。
ほかに、春秋時代の斉の桓公が、名臣管仲亡き後、易牙という料理人を側近にしたが、この易牙は、桓公が人の肉を食べてみたいといったので、自分の子供を料理して食べさせた、という話が史記にあって、こんな奸臣を重用したので、斉は衰えたのだ、なんて書いてあります。 これもホントのことですかね。あやしいもんです。
_ うっひゃー ― 2014/02/16 00:47
古代中国で膾(なます)と呼ばれていたものもののうち、人肉を含んでいる例があるので、「珍味」としての人肉食があったのは事実の可能性が高いと言われています。ただ、孔子の話はデマですがね。。。我々が連想するような人肉食は、唐の時代以降の風習ではないかとする人もいます。これは「資治通鑑」に人肉の市場価格!についての記述があるからなのですが、そうだとすると、本来の人肉食文化は、北方系民族の影響なのかもしれません。唐は北方系の影響がかなり顕著ですから。
ですが、こういった食人文化が中国独自で他に見られないかというと、そうでもない。古代の話ですとたくさんありますが、インドでは近年、葬儀場の従業員が焼き肉の具として人肉を食ったという、ほんまかいなというような話すらあります。
日本でも六部殺しの説話などは、どうもただものを穫るために殺したというよりかは食う為に殺したんじゃないかというような内容のものもあったりしますので、ま、総合するとあまり言えた義理ではないでしょうね。
_ (未記入) ― 2017/01/26 18:46
中国のは人肉を味わうために殺害事件が起きてるから、日本とはまるで違うよね。残念
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何と言ったらいいんでしょうかね。

日本の戦国時代でも、人を喰うと言うは聞いたことが無い。第二次い世界大戦時中においても、南方でそのようなことがったという話も聞かない。

もともと死者を弔うと言うのが日本の風習であり、戦国時代でも仏教の教えが庶民にまで行き渡っていたから、人を食することが習慣になることはなかっただろう。



問題は、人間に対する見方が根本にあって、人間も他の動物と同様に「喰えるモノ」と見做す考えがどのようにしたら出てくるのか、または「人は食べられない」と言う発想も、どうように何処からうまれるのだろうか。

吹雪さんがコメントで書いた、「汝殺すなかれ」と言う戒めがない世界、劉備玄徳をもてなす猟師が妻を殺して、食させる発想、そしてそれを褒める劉備、これは儒教の教えと関係があるのか?

石平氏の「なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか」という本の中で、「中国大虐殺史」は、絶対的権力を握る『絶対帝政』によって、権力による権力のための虐殺が起こる。個人の命など惜しむに値しないもの」と言うのが、その制度下では形成されるのだ。



・・・・・、あっ、やっぱり民主化はできないかもしれないな。

毛沢東が批孔批林運動をして、孔子の霊廟を破壊したときが、唯一の孔子批判運動となったが、たんなる暴力的破壊で、思想的な批判ではなかった。

孔子の思想を、現代的尺度から見做して批判しない限り、孔子を奉っているだけでは、変革は起きない。

儒教そのものが「政治」学であって、本当の宗教ではないからだ。

この問題は、次に書きたい。

「人命」が軽んじられるのは、孔子が「死後の世界」を否定したことにあるかもしれない。

人々が「死ぬ」ことで悩むことが無い、魂の救済を儒教(孔子教)は取り上げていないからだ。死んだら食える肉があるだけという見方。先祖を敬うことと「死者」を敬うこととは違う考えなのだ。

「祖霊崇拝」と「死者崇拝」とは別物と言える。

ヒンズー教では死んだら神様のいるところに行くと考えられているし、キリスト教もそうだ。

「救済」の意味が儒教と他の宗教とは違うのだ。「神の元に行き、永遠の安らぎを得る」という《救済》が、中華思想にはない。

死後の世界は現世の続きであって、貧乏人は死後の世界も貧乏人のまま、金持ちは金持ちで死後に「ある」のだ。だから現世で金持ちになることに齷齪(あくせく)する。

でもカニバリズムの発想は、人間も他の動物も変わりがないということ、「民草」の語句のように「草」のようなもの。

人をもてなすために、妻を食い物にするために殺してしまう。また次元は違うけれど虐殺も平気でする。殺し方がまた残酷なのも特養的だ。通州事件で日本人が虐殺された様子など、まったく酷いものである。

「汝殺すなかれ」が普遍的戒律でない世界がここにある。絶対権力の前にはこの戒律は無意味なのだ。

なにか、恐ろしい世界があるのではないでしょうか。

やはり「心」がどう捉えられているのか。



孔子よりも孟子の方が、思想的に私には好ましく思える。孔子の論語を読んでいると、どうも胡散臭い感じがしてならない。何か上から目線の物言いなのだ。だが孟子は違うと思う。詳しくは言えないが、孔子の儒家が漢王朝以降、さらに宋の時代の科挙で、その主役となることで、役人の共通思想となった経緯が、やはり特異なのだと思う。


雨のち晴れの記(B)

中国の人肉食(カニバリズム)文化 (つづき)

2018-12-04 23:02:04

 ウィクペディアで関連の記事を探してみた。


中国の人肉食(カニバリズム)文化

 人肉嗜食とは、特殊な心理状態での殺人に時折見られる人肉捕食等のことで、緊急性がなく、かつ社会的な裏づけ(必要性)のない行為である。
 多くは猟奇殺人に伴う死体損壊として現れる。文明社会では、直接殺人を犯さずとも死体損壊等の罪に問われる内容であり、それ以前に、倫理的な面からも容認されない行為タブーである食のタブーとされる。そしてタブーとされるがゆえに、それを扱った文学・芸術は多く見られる。
 フィクションでは青頭巾、スウィーニー・トッド、ハンニバル・レクター(映画公開順・「羊たちの沈黙」(1990年) ・「ハンニバル」(2001年) ・「レッド・ドラゴン」( 2002年) ・「ハンニバル ライジング」(2007年)などがある。
 またカニバリズムはしばしば性的な倒錯的幻想をもって受け止められ、またそのようなフェティシズムを持つ者も多数存在する。
 しかし、人肉食が古代中国より近代まで日常的な食文化とされる研究や事例報告がなされている。
 小室直樹の評するところによれば、中国では古代から近世にかけて食人の習慣が非常に盛んであった。中国が他文化の食人と比べ異質なのは、食人が精神異常行為・宗教的行為・飢餓時の緊急避難行為などではなく、きわめて日常的な食文化として根づいていたとする。
 膨大な文献が中国における日常的な食人行為を伝えているが、中国人の道徳規範である儒教と道教は、食人についてまったく触れておらず、これは食人が中国文化において認容されていることを示している(小室直樹『資本主義中国の挑戦』『中国共産党帝国の崩壊』)
 古くは『韓非子』に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(あぶり肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(塩漬け肉)」という記述が見られる。もっともこの「醢(かい)」なる言葉は塩漬け全般を指す語でもあり、獣肉の料理を指すこともあれば、見せしめのために塩で防腐した遺体を指すこともあり、必ずしも人肉食を指さない。
 黄文雄は食人の記録から、中国人は「人食い人種」であり、「食人文化は、中国四千年の歴史を貫く伝統」であるとし、また、孔子がかなりの人肉好きだったとする。
 弟子の子路が衛国の大夫である孔悝の荘園の行政官になっていたころ、衛国に父子の王位争いが起こった。子路はこのお家騒動に巻き込まれて殺された。子路の死骸は細かく切りきざまれ、無惨にも《醢》にされた。それは使者によって孔子の食卓にまで届けられてきた。
 以来、孔子は大好物の《醢》を食べるのをやめたそうだ。
 これは『礼記』、『東周列国志』、『荘子』にも記されている。なお『礼記』『荘子』の内容は以下の通りである。
檀弓上:孔子哭子路於中庭。有人吊者,而夫子拜之。既哭,進使者而問故。使者曰:“醢之矣。”遂命覆醢。
子以甘辭說子路而使從之,使子路去其危冠,解其長劍,而受教於子,天下皆曰‘孔丘能止暴禁非’。其卒之也,子路欲殺衛君而事不成,身菹於衛東門之上,是子教之不至也。
いずれも、子路が「醢」「菹」(本来の意味から転じての、遺体を塩漬けにして晒しものにする刑罰の意味)にされたという記述があり、『礼記』では最後に家にあった「醢」(本来の意味での、肉の塩漬け)を捨てさせたとある。孔子の家にあった「醢」が何の肉から作られたかについて説明されておらず、人肉だと解釈する理由は存在しない。つまり弟子の無残な最後に、その刑罰を連想させる塩漬け肉が食べられなくなった、と解釈するのが普通である。『東周列国志』には、衛国の使者が「夫子を敬慕して、大胆に珍味を捧げます」と人肉を食べさせようとする記述があるが、これは明末に馮夢竜が著した歴史小説であり、史実ではない。
この他、『孔子家語』にも同じ逸話がある。
子路與子羔仕於衞。衞有蒯聵之難。孔子在魯聞之、曰、柴也其來。由也死矣。既而衛使至。曰、子路死焉。夫子哭之於中庭。有人弔者、而夫子拜之。已哭。進使者而問故。使者曰、醢之矣。遂令左右皆覆醢。曰、吾何忍食此。]
明治書院版『孔子家語』の訳者宇野精一は「衛の人が子路の遺体を塩漬けにしたのは、単に刑罰として行ったのではなく、おそらくその肉を食ったのだろう。それは勇者の肉を食うことに意味があったのだと考えられる」と推測している。
小室直樹は「孔子は人肉を好んでいた」「当時の食人は中国社会ではごく自然な行為であった」という説を支持している。小室によれば、この食人と纏足、科挙の三つは、日本に全く伝わらず、また日本人はそれらを全く理解できないといっている。
 小室は孔子のエピソード以外に、名君といわれた斉の桓公が「自分はいろんなものを食べてきたけどまだ人間の赤ん坊を食べたことがないな」と言ったのを聞きつけた料理人の易牙が自分の子供を調理して桓公を満足させたことをあげ、この桓公と易牙の有名な件を儒家も道家もまったく非難していない(つまり中国社会では道徳違反にあたらない)と指摘している。
 また三国志では劉備が支援者の民家に宿泊した際、その家の主人が自分の夫人を殺害して調理もてなし、劉備が「感動」したという話を紹介し、「中国社会で親戚を殺して調理しもてなし料理とすることは、最高の礼儀でさえあった」としている。
 ただし、この小室の意見は一般庶民の間で家庭料理的に人肉が食べられていた居た事の証明にはならず、最高の礼儀だった根拠は無い。また、この劉備の逸話は史書『三国志』ではなく後代の小説『三国志演義』に残る話であり、もとより史実ではない。また、同小説の原文には「不勝傷感」とあり、「感動」したのではなく、心を痛めて堪え切れず涙を流しているという文脈であり、正確ではない。
 『史記』にも、飢饉や戦争により食料がなくなると、自分の子を食うに忍びなく、他人の子供と交換したのち絞め殺して食べたという記述が残っている。三国志 (歴史書)14巻『魏書 程郭董劉蔣劉傳』の程c伝に引用された『世語』(『魏晋世語』)逸文に「世語曰 初 太祖乏食 c略其本縣 供三日糧 頗雜以人脯 由是失朝望 故位不至公」と、略奪した糧食の中に人肉が含まれていたために程cが出世を逃した、という記述がみられる。
 唐代以降は人肉食へのハードルが下がったという議論があり、例として引かれるのは『資治通鑑』の人肉の市場価格が二十年で数十分の一に暴落した記録である。また自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述がある。
 明の時代の李時珍による『本草綱目』人部には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという。 民間では、同時代の『南村輟耕録』に、戦場での人肉食の実例と調理法が多岐にわたって紹介されている。この食事方式を採用した隊では戦果が食事に直結するため、大いに士気が高揚したという。
 清の時代にも依然として人肉食が残っていた。宮廷でもしばしば人肉食が行われ、高官が赤ん坊の肉を好んで調理させた逸話が伝わる。著名人では、西太后が病の東太后の歓心を買うため肘肉を羹に供したという(左の肘に包帯を巻いた上での自己申告であり、真偽は不明)。
 黄昭堂によれば、台湾の先住民族高砂族は「生蕃」と呼ばれ、高砂族の肉である「蕃肉」は滋養に富むとして食され、中国大陸に輸出されていた。また、古来より凌遅刑(千刀万剐)という全身を切り刻む処刑方法が存在したが、刑場近辺で死刑囚の肉片が食用ないし薬用に供されていた記録があり、廃止された1905年には北京で撮影が行われている。なお、著名人が同処刑後に食された事例としては、明朝の劉瑾・袁崇煥のものが挙げられる。ただし劉は酷吏、袁は名将であり、食の意図は異なるものと思われる。

 近代に入ると、この食人文化を中国の前近代性として非難批判する知識人が登場する。魯迅がその代表で、彼は小説「狂人日記」や「薬」で、中国の食人文化を厳しく指弾した。「狂人日記」は正確には強迫性障害の主人公がカニバルの幻想を抱くという内容、「薬」は人血にひたして食べる肉饅頭が肺病をなおすという風習についての内容である。
 文化大革命時にも粛清という名目で人肉食が広西等で白昼堂々と行われていたという報告がある。
 なお、現在の中国では食人はタブーとされており、当然違法である。

堕胎された胎児などを食べる文化が現存するとの指摘もあるが、トリック写真やパフォーマンスの一部だと判明した事例も多い。香港やマカオでもしばしば食人事件が噂され、盛んに作品に翻案された。
 香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』はその一例である(実際の八仙飯店殺人事件では、被害者十名の胴体が発見できなかったことに留まり、人肉食は立証されていない)。 また2008年には香港でもこの映画を思わせる事件が発生した。少女を殺害し、遺体を切り刻み肉と内臓をミンチ機で細切りにしトイレに破棄し、手足の骨は肉屋の店頭に並べたという。
 朝鮮半島でも食人文化は見られ、「断指」「割股」という形で統一新羅時代から李氏朝鮮時代まで続いている。孝行という形以外で直接的に人肉を薬にすることについては比較的遅くに見られ、李氏朝鮮の中宗21年の数年前(1520年代)から広まっており、宣祖9年6月(1575年)には生きた人間を殺し生肝を取り出して売りさばいた罪で多数捕縛されたことが『朝鮮王朝実録』に記載されている。
 また、韓国独立運動家の金九は自身のももの肉を切り、病気の父に食べさせている。この民俗医療の風習は、元々梅毒の治療のために行われたと推察できるが、後にこれらの病に留まらず不治の病全般に行われるようになり、日本統治時代の朝鮮の昭和初期に至っても朝鮮・日本の新聞の記事の中にも長患いの夫に自分の子供を殺して生肝を食べさせる事件や、ハンセン病を治すために子供を山に連れて行って殺し、生肝を抜くという行為が散見される。
 ただしこの時代の朝鮮人社会でも、すでにこのような"薬"としての人肉食は前近代的で非科学的な奇習と考えられているようになっており、一般的ではなくなっていた。当時の朝鮮で施行された日本法でも禁止されている。
 近年でも人肉を薬として信じ、滋養強壮や若返りの効果があると信じて服用されているケースがある。特に中国から密輸された人肉を封入したカプセルが裏で出回っていることが2011年8月、韓国の税関当局が発表し、韓国内外で大問題となった。韓国の税関、警察、保健当局は取締に乗り出しているが、既に大量に出回っており、摘発は容易ではない。2012年において、1錠3000円超で取引されているという。
 南側の韓国では、近年の経済成長によって食料不足は縁遠いものとなっているが、北側の北朝鮮では、農業政策の失敗から、食料不足が慢性化している。2012年春には数万人規模での餓死者が発生しており、その少ない食料を北朝鮮政府や朝鮮人民軍が奪い取った結果という。空腹でおかしくなった親が子を釜ゆでして食べて捕まる事件や、人肉の密売流通などの事件が後を絶たないという。(Wikipedia)



中国人はいかに人間を食べてきたか!? 中国における食人の歴史

中国の歴史書や随筆集などの記録には、たいへん多くの食人のエピソードが登場します。その中から、特徴的な例や歴史上の著名な人物が関係している例をまとめました。
更新日: 2013年03月16日 この記事は私がまとめました

debudobusuさん

■ はじめに

中国の歴史書や随筆集などの記録には、たいへん多くの食人のエピソードが登場します。それは飢餓状態の食人から、狭義のカニバリズム(人肉嗜食)までバリエーションにとんでいます。その中から、特徴的な例や歴史上著名な人物が関係している例をまとめました。

■ 桑原隲藏による中国の食人肉風習の分類

京都帝国大学の教授であった桑原隲藏(くわばら じつぞう)は、論文『支那人の食人肉風習』(青空文庫に収録されておりネットで読めます)の中で、中国における食人を、その動機から五つに分類しています。大正時代の文章のため若干読みにくいところもありますが、以下に引用します。

(第一) 饑餓より來る要求

出典桑原隲藏 支那人の食人肉風習

「支那では凶年の場合に、所謂人相食と申して、尤も露骨に弱肉強食の有樣を現出する。かかる場合にも、民間ではその子を易へて、甲は乙の子を、乙は甲の子を食して、一時の露命を繋ぎ、又は公然人肉を市場で販賣するといふ事實が頗る多い。支那では凶年に人肉を食料に充てるのが、殆ど慣例となつて居る。」(引用)

(第二) 糧食盡くる時

出典桑原隲藏 支那人の食人肉風習

「唐の張巡・許遠らが、賊軍の爲に陽に圍まれて糧道絶ゆるや、張巡は眞先にその愛妾を殺し、許遠はその從僕を殺して士卒の食に充て、續きて城中の婦人を、最後に戰鬪に堪へ得ざる老弱の男子を糧食に供した」(引用)

(第三) 嗜好の爲に人肉を食用すること

出典桑原隲藏 支那人の食人肉風習

「五代時代の高澧や萇從簡は、相當高位大官の身分なるに拘らず、人肉を好み、或は行人を掠め、或は小兒を捕へて食料に供したといふ。」(引用)

(第四) 憎惡の極その人の肉を食ふこと

出典桑原隲藏 支那人の食人肉風習

「支那人は死後も肉體の保存を必要と信じ、その肉を食へば、之に由つて死者に多大の苦痛を與へ得るものと信じて居る。」(引用)
「梁の武帝を餓死せしめた反將の侯景が、後に殺害されて市に曝された時、彼を惡める士民は爭うてその肉を食ひ盡くした。」(引用)
「唐の楊貴妃の族兄楊國忠が、貴妃と共に馬嵬で殺害された時も、之と同樣に、彼の肉は軍民の餌食となつた。」(引用)

(第五) 疾病治療の目的の爲

出典桑原隲藏 支那人の食人肉風習

「唐の玄宗時代に陳藏器が、その著『本草拾遺』中に藥材として人肉を加へて以來、支那歴代の本草は、何れも人肉を藥材として取扱ふ。」(引用)
「宋・元以來、父母や舅姑の病氣の場合、その子たり又はその嫁たる者が、自己の肉を割き、藥餌として之を進めることが、殆ど一種の流行となつた。政府も亦かかる行爲を孝行として奬勵を加へる。」(引用)

簡単にまとめますと、

@ 凶作などによる飢餓によって
A 兵糧が尽きたため
B 人肉嗜食、人肉を好んで食べる嗜好のため
C 怨恨の感情から
D 病気の治療ため、薬として

以上の分類を頭において、これから紹介していく中国における食人の実例を見ていくと、この分類には収まらないような独特な動機もあって、おもしろいかと思います。

★ 頭蓋骨に穴を開けて脳髄を啜っていた北京原人



北京原人

中国周口店において発見された化石人類
周口店の遺跡は約25万年前から40万年前のものである

発掘が行われた洞窟には灰の層が4つあって、そのうちの1つは6メートルの厚さまで積もっていた。このように火を使用した跡から、狩猟した獲物を火で調理して食べていたと思われる。しかも、「食人の風習があったのではないか」とも考えられる。すべての頭骸骨の後頭部に穴が開いているのだが、それは人工的なもので、そのため、食人の習慣があったと推測されているのだ。脳髄には栄養があり、うまいということを彼らは知っていたのだという。さらに、割れた大腿骨も見つかっているが、これは骨の髄を取り出して食べたためという

出典じじぃの「世界遺産・中国・忽然と消えた北京原人の化石!封印されたミステリー」 - 老兵は黙って去りゆくのみ

北京原人の食人習慣については否定的な説も有力です。
また現生人類との間に直接的な血のつながりはないとされています。

★ 暴虐非道の行いを諌めた賢臣たちをさまざまな調理法で処刑した殷の紂王

帝辛

紀元前1100年ごろ。
紂王の名で知られる殷の第30代帝。
酒池肉林や残酷な炮烙の刑などで暴君の代名詞となった。

殷の紂王が、自分の不行跡を諫めた翼侯を炙とし、鬼侯を臘にし、梅伯を醢にして居る。炙は人肉を炙ること、臘は人肉を乾すこと、醢とは人肉を醤漬にすることで、何れも人肉を食することを前提とした調理法に過ぎぬ。

出典桑原隲藏 支那人の食人肉風習

京都帝国大学教授で東洋史の大家・桑原隲蔵の論文より。
炙は直火焼きの焼き肉、臘は干し肉、醢はししびしお・塩漬け肉のこと。





肉を直火焼きしたもの。
画像はそれぞれの調理法を用いた現代の肉料理です。もちろん人肉を用いたものではありません。







肉を干したもの。臘月(12月)作られることからこの名がついた。
画像はそれぞれの調理法を用いた現代の肉料理です。もちろん人肉を用いたものではありません。

★ 暴君・紂王によって我が子の肉を食べさせられた中国理想の聖人君主・文王



周の文王

紀元前1152年−紀元前1056年。
周王朝の創始者である武王の父。
儒家からは武王とともに聖王と崇められ、中国においては為政者の手本となっている。

『史記集解』が引く『帝王世紀』によると、文王が殷の紂王によって羑里に捕らわれたとき、伯邑考は殷の人質であった。紂王は伯邑考を殺し、羹(スープ)にして文王に与えた。紂王は「聖人ならその子の羹を食わないだろう」と言った。文王は羹を食べた。紂王は「誰が西伯(文王)を聖人などと言ったのだ?その子の羹を食べてなお気づかないではないか」と言った。

出典伯邑考 - Wikipedia

この時代を描いた小説『封神演義』では、伯邑考は生きながら身体の肉を少しずつ切り落とされていく隗肉刑に処された後、肉餅にされて文王に与えられました。



魚・鳥の肉や野菜を入れたスープ。あつもの。
画像はそれぞれの調理法を用いた現代の肉料理です。もちろん人肉を用いたものではありません。

肉餅

ひき肉をこねて作るハンバーグあるいはミートパイのようなもの。
画像はそれぞれの調理法を用いた現代の肉料理です。もちろん人肉を用いたものではありません。

★ 蒸した赤ちゃんを食べたことがないという主君・桓公のために自分の息子を調理して供した中華料理の祖



桓公

斉の第16代君主。
春秋時代最初の覇者。

春秋時代の斉の桓公(かんこう)の料理人で,調味の天才であった易牙に関する話柄は,《左氏伝》をはじめ幾つもの史料にみえるが,《管子》小称によれば,桓公が嬰児(えいじ)を蒸したものはまだ味わったことがないといったところ,易牙は自分の長子を蒸して公の膳にすすめたという。このため料理人の風上にも置けぬとの批判もあるが,明代の万暦年間(1573‐1619)に《易牙遺意》という有名な料理書がでていることからもわかるように,料理人の祖師の一人として称揚されている。

出典《易牙遺意》 とは - コトバンク

古代中国では君主に自分の家族を供するというのが、自身の忠義を示すことだったようです。

★ 飢えに苦しむ主君・文公に自らの腿の肉を削ぎ落して供した忠臣・介子推



晋の君主。
斉の桓公と並んで斉桓晋文と称された春秋時代の覇者。

逃亡途中で飢餓に苦しんでいたとき、随行していた賢臣介子推は自分の腿の肉を切り取りスープにして重耳(文公)に与え、その危難を救ったと伝えられています。これが史上有名な「割股奉君」の故事です。

出典2010-3-31介公嶺 - 绵山

ちなみに、この介子推は、後に文公によって母親とともに山ごと焼き殺されます。この故事においても、君主のために自らの肉を供することが忠義の行いとして登場します。



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@ 凶作などによる飢餓によって
A 兵糧が尽きたため
B 人肉嗜食、人肉を好んで食べる嗜好のため
C 怨恨の感情から
D 病気の治療ため、薬として

これらの理由により、人肉を食すると言うけれど、やはり異常だ。

北京原人の後頭部に穴があって、どうも食べたと言う頭蓋骨が発掘されているわけだから、とんでもなく昔からそういう風習があったんだろう。
posted by beetle at 08:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする