2017年04月17日

なぜ李登輝台湾元総統は日本の「武士道」の教えを伝え続けるのか

まぐまぐニュース! / 2017年4月9日 8時0分

元台湾総統の李登輝氏が高齢にもかかわらず、たびたび日本を訪れ青年たちを叱咤激励していたことをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe−国際派日本人養成講座』では、李登輝元総統を突き動かす原点とも言える新渡戸稲造の『武士道』を取り上げ、先人が700年という歳月をかけて育て上げてきた「日本人の基本精神」について考察しています。

武士道〜先人からの贈り物

「いまだかって、私は『尊敬できる日本』という言葉を聴いたことがありません」とは、2009年9月5日に元台湾総統の李登輝氏が、東京青年会議所の約2,000人の聴衆に向かって語った言葉である。

総統退任後、残された人生を台湾人、そして日本人を励ますために使うと話していた李登輝氏だが、87歳の高齢にして、心臓に持病を持つ身でありながら、まさに自分の命の限りを尽くして、日本の青年たちに語りかけている。氏を駆り立てているのは何なのか?

ブログ『台湾は日本の生命線!』は、こう語っている。

…日本に対し、増大する中国の軍事的脅威から東アジアを防衛するため、日台が「運命共同体」「生命共同体」であることを繰り返し訴え続けている。「台湾は日本の生命線だ」「台湾が中国に取られれば日本は終わりだ」と。

李登輝氏が最も日本人に伝えたいのは、まさにこれであるはずだ。「かつてのような智恵と勇気に溢れる日本と言う国を取り戻せ」と、日本人を激励しているとしか思えない。

「君は君、我は我なり、されど仲良き」

李登輝氏はその講演では、『竜馬の「船中八策」に基づいた私の若い皆さんに伝えたいこと』と題して、幕末に坂本龍馬の提示した近代日本の国家像に倣(なら)って、今後の日本のあるべき姿を語った。

たとえば、第4議の「外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事(外交は公論に従って、新たに対等の条約を結ぶ)」に基づいて、李登輝氏はこう説いている。

アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐわないものです。

特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、「けじめある関係」でなければならないと思います。

(『愛知李登輝友の会ブログ「【李登輝講演録全文】竜馬の「船中八策」に基づいた私の若い皆さんに伝えたいこと」)

この言葉から思い起こされるのが、李登輝氏の総統時代の対中外交である。

たとえば、私の総統時代、中共から絶えず激しい挑発を受けました。すると、台湾の国民も大きく動揺して、「とにかく恭順の意を表しておこう」という者や、「いや徹底的に戦って相手を屈服させよう」という者など、さまざまな人々からさまざまな反応が出てきます。こういうときにこそ、もっと大局的な視座からもっと大きな判断を打ち出すのが、民の上に立つ者の務めだと痛感しました。…

台湾に対しても中共は絶えずミサイルなどで脅しをかけてきます。しかし、それぐらいでぐらつくほど「新台湾」はひ弱ではありません。

あんなものは、単なるブラフ(JOG注:脅し)にしか過ぎない。大陸は、台湾に対して80発ぐらいのミサイルを重要な個所に撃ち込めると言っています。しかし、私たちは、それに対する態勢も十分に完備していますから、文字通り「備えあれば憂いなし」で全く恐れてはいないのです。

(『「武士道解題」 ノーブレス・オブリージュとは』李登輝 著/小学館)

中共のミサイルなにするものぞ、と立ち向かう李登輝氏の姿は、まさに日本の古武士の姿を見るが如くである。

ルーズベルト大統領も感動させた新渡戸稲造の『武士道』

李登輝氏の新渡戸稲造との出会い

上記の引用は、李登輝氏が新渡戸稲造の英文著書『武士道』を解説した本の一節である。この『武士道』は、新渡戸稲造が国際社会にデビューしたばかりの日本の精神伝統を説くために、1900(明治33)年1月に英文で刊行したものだ。

時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは徹夜でこの本を読破し、感動のあまり、翌日ただちに数十冊を購入して、世界中の要人に「ぜひ一読することを勧める」という献辞を添えて送り、ホワイトハウスを訪れる政・財・官界の指導者たちにも手ずから配ったという。

この4年後に勃発した日露戦争で、日本軍は「武士道」に則った戦いぶりを見せ、世界を感動させた。乃木将軍や東郷元帥が日本古武士の典型として国際社会からの尊敬を受けた。ルーズベルト大統領も日露講和の仲介を買って出た。

その新渡戸稲造の著書に、どうして李登輝氏が関心を持ち、自ら日本語で直接、それも文庫本で300頁以上もの解説書を書くことになったのか。

昭和15(1940)年、日本統治下の台湾で、旧制の台北高校に進んだ李登輝青年は、図書館で多くの書物を読み漁っているうちに、新渡戸稲造の講義録を見つけた。

新渡戸稲造は『武士道』を刊行した翌年、明治34(1901)年に台湾総督府の農業指導担当の技官として赴任し、台湾製糖業の発展に大きな貢献を為したのだが、毎年夏に台湾の製糖業に関係している若き俊秀たちを集めて講義をしていた。それはイギリスの思想家トーマス・カーライルの哲学書を解説した講義だったが、その講義録を読んで李登輝氏は新渡戸稲造の偉大さに心酔するようになり、新渡戸の著書をすべて読んでいった。その過程で出会ったのが『武士道』だった。

「公義」

中国からのミサイルの脅しに対して、敢然と立ち向かう姿は、いかにも勇ましい武士らしき姿だが、新渡戸稲造が説き、李登輝氏が解説する「武士道」とは、そのような「勇」一辺倒のものではない。

新渡戸は、武士道の徳目の最初に「義」を挙げている。「義」とは「義務」であり、「義理」すなわち「『正義の道理』が我われになすことを要求し、かつ命令するところ」と言う。孟子が「義は人の路なり」とし、キリスト教で「義」は神からの要求であるとするのも、同様の意味である。

李登輝氏は「義」は「個人」のレベルに閉じ込めておくべきことではなく、必ず「公」のレベル、すなわち「公義」として受け止めなければならない、と説く。それは社会のために各人が為すべき事を指す。

人の生き方として実践を重んずる武士道は、「義」について抽象的哲学的にあれこれと論じたりはしなかった。それよりも「義を見てせざるは勇なきなり」の一言で、武士としての生き方を表現した。武士道の2番目の徳目である「勇」とは、あくまで「義」を実践する時の姿勢であって、「義なき勇」は「匹夫の勇(思慮分別なく、血気にはやるだけのつまらない人間の勇気)」として、軽蔑された。

李登輝氏が貫いた「義を見てせざるは勇なきなり」とは?

「義を見てせざるは勇なきなり」

新渡戸稲造の生き方そのものに「義を見てせざるは勇なきなり」があった、と李登輝氏は説く。

新渡戸稲造先生が台湾に来てくれるよう要請されたとき、彼はまだアメリカにおり、健康状態もかなり悪かった。しかし、「義を見てせざるは勇なきなり」の武士道精神に基づいて、総督府の一介の技官(地方の課長)という大して高くもないポストに従容(しゅうよう)として赴き、いったん現地に入ったからには命を賭して大事業の成就に向かって全力疾走を続けたのです。なぜなら、国家がそれを必要としていたからです。これこそ、「武士道」の精華であらずして何でありましょう。

(同上)

李登輝氏自身の生き方も同様である。進学先の大学を決めるときにも、何の迷いもなく、新渡戸稲造が学んだ京都帝国大学の農学部農林経済学科を選んだ。立身出世のためなら、東京帝国大学で法律を学んでエリート官僚となる道を選ぶこともできた。しかし、台湾の発展のためには、新渡戸と同じく農林経済を学ぶべきだと考えたのだろう。

しかし、天は李登輝氏に学者としての道を歩ませなかった。

私事にわたりますが、もともと学者か伝道者として生涯を全うしようと思っていた私が、思いがけなくも政治の道への足を踏み入れてしまったのも、いまにして思えば、「天下為公(JOG注:天下をもって公となす。天下は公のもの)「滅私奉公」といった武士道精神に無意識のうちに衝き動かされてのことであったように感じられてなりません。

(同上)

「中華人民共和国」という擬制

李登輝氏に政治家への道を歩ませた一因は、祖国台湾を覆う中国の脅威であった。

そもそも、「中華人民共和国」という擬制そのものが、根本的に嘘ではないですか。孫文の「三民主義」を実現するための国家体制であると広言しながら、かつて民主主義的だったことがありますか? 「人民」に対して自由や平等を許容したことがありますか。天安門事件にしても、チベット抑圧政策にしても、法輪功弾圧にしても、すべてが独裁国家的で、冷酷かつ残忍なことばかりしてきている。いったい、何万人、何百万人の無辜(むこ)の民を殺してきたというのですか。

(同上)

この「中華人民共和国」が、「祖国統一」というもう一つの「擬制」のもとで、「台湾は中国固有の領土」「同じ中国人どうし」という「嘘」をつき、台湾併合を狙っている

私は、これまで一度たりとも「統一には絶対反対する」などと言ったことはありません。中国の指導者が嘘をつくのをやめ、本当に自由で民主主義的な体制をつくるようになれば、いつでも統一に応じる用意がある、と言い続けてきたのです。それまでは、台湾の人々のために、万民のために、一国の責任ある指導者として「特殊な国と国との関係」という現実を維持しないわけにはいかない、とだけ言ったきたのです。

それなのに、彼らは自己権力を保持し拡大したいということばかりに気をとられて、最も大切な国民の自由や幸福を追求する基本的な権利まで、一方的かつ完全に踏みにじってしまっている。そして、このような、ごく当たり前の「公義」を述べる私のことが目障りで恐怖心さえ覚えるからでしょうか、平然と虚偽に充ちた個人攻撃を仕掛けてきている。

(同上)

中国の独裁政権は国家を私し、国民を搾取している。台湾の民をそんな体制に住まわせるわけにはいかない、というのが、李登輝氏の「義を見てせざるは勇なきなり」なのである。

武士道を「蔵」にしまいこんでしまった日本人

「公義」と「友愛」

87歳の高齢にして病身の李登輝氏が、中国の反発と日本政府の抵抗を押し切って来日し、日本の青年に語りかける姿も同じく「義を見てせざるは勇なきなり」の心からだろう。

中国の独裁体制による脅威という点では、日本と台湾は運命共同体である。台湾が中国の支配下に入れば、西太平洋は「中国の海」となり、海上輸送のライフラインを握られた日本は中国に膝を屈せざるを得なくなる。そのような日台両国民の不幸を避けるために、李登輝は高齢を押して、台湾と日本の人々に語り続けているのである。

蔵にあるものは蔵から出せば良い

国内の諸問題についても、同様である。

しかるに、まことに残念なことには、1945(昭和20)年8月15日以降の日本においては、そのような「大和魂」や「武士道」といった、日本・日本人特有の指導理念や道徳規範が、根底から否定され、足蹴(あしげ)にされ続けてきたのです

いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、と私は憂慮しています。

(同上)

武士道は、我々の先人が700年の時間をかけて国民精神の根幹として育て上げてきたものである。それを戦後の70年ほど、我々は「お蔵入り」させていたわけだが、蔵にあるものは蔵から出せば良い/strong>。

李登輝氏は『武士道解題』を次のような言葉で結んでいる。

最後に、もう一度繰り返して申し上げておきたい。日本人よ自信を持て、日本人よ「武士道」を忘れるな、と。
文責:伊勢雅臣
posted by beetle at 07:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする